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こじはる 卒業発表報道を否定写真【画像あり】 [芸能]

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AKB48の小嶋陽菜(26)が28日未明放送のニッポン放送「AKB48のオールナイトニッポン」に生出演。一部で同番組内での卒業発表が報じられたが「えぇー、しないよ」と報道を否定した。

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AKB48の小嶋陽菜さん



詳しく調べてみました[るんるん]

日本の女優、アイドルであり、女性アイドルグループAKB48チームAのメンバーである。愛称はこじはる。
埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。プロダクション尾木所属。

来歴

2000年
12月4日よりBS朝日『Harajukuロンチャーズ』に出演。2003年9月28日まで出演した。当時はスターダストプロモーションに所属していた。

2005年
10月30日、『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
12月8日、オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った(旧チームAに所属)。

2006年
10月25日、AKB48としてシングル「会いたかった」で、デフスターレコーズからメジャーデビュー。

2007年
7月3日、 高橋みなみ、峯岸みなみとともに、office48からプロダクション尾木に移籍。
7月6日、TBS『山田太郎ものがたり』で、テレビドラマ初出演。

2008年
2月23日、テレビ朝日『コインロッカー物語』で、テレビドラマ初主演。
9月、高橋みなみ・峯岸みなみとユニット「ノースリーブス」結成。11月26日、1stシングル「Relax!」でデビュー。

2009年
4月1日、『AKBアイドリング!!!』のメンバーとして、「チューしようぜ!」発売。
6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では6位で、メディア選抜入りを果たした。

2010年
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では7位で、メディア選抜入りを果たした。
9月21日に開催された『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』では3位で、メディア選抜入りを果たした。

2011年
5月から6月にかけて実施された『AKB48 22ndシングル選抜総選挙「今年もガチです」』では6位で、メディア選抜入りを果たした。
9月20日に開催された『AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会』ではベスト16で、選抜入りを果たした。
12月、資生堂のヘアケアブランド『TSUBAKI』の新ミューズに就任し、蛯原友里、水原希子、ゲイリ・ライ、アンナ・ケイ、サーシャ・ピヴォヴァロヴァと共演したCMが同月9日より放送開始。

2012年
5月から6月にかけて実施された『AKB48 27thシングル選抜総選挙』では7位で、選抜入りを果たした。
8月24日、『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』初日公演において、チームBに異動することが発表された。
11月1日、チームBに異動。
11月3日、チームBウェイティング公演のスターティングメンバーとして新チームでの活動を開始する。

2013年
1月5日、競馬バラエティ番組『うまズキッ!』(フジテレビ)のMCに起用される。
3月17日、さいたま市観光宣伝部長に就任。
5月から6月にかけて実施された『AKB48 32ndシングル選抜総選挙』では9位で、選抜入りを果たした。
10月30日発売予定の33rdシングル「ハート・エレキ」では“ミッシェル”というキャラクターを演じ、初のセンター・ポジションを務めることになる。同楽曲は9月18日に開催された『AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会』で初披露された。

2014年
1月20日、この日行われた「チームBウェイティング公演」で劇場公演出演600回を達成。
2月24日、「AKB48グループ大組閣祭り」のチーム再編に伴い、チームAへ異動することが発表された。
4月23日、この日千秋楽を迎えた「チームBウェイティング公演」でチームBメンバーとして最後の劇場公演に出演する。
4月25日、この日初日を迎えたチームA 7th Stage「恋愛禁止条例」公演で再びチームAのメンバーとしての劇場公演への出演を開始する。
5月から6月にかけて実施された『AKB48 37thシングル選抜総選挙』では8位となり、選抜メンバーに選出される。

人物
高等学校教師の父と専業主婦の母の長女として生まれる。名前の由来は、母親いわく「女の子が生まれたら春に生まれるし”はるな”にしようと決めていた」からだという。
主な愛称は「こじはる」だが、前田敦子や高橋みなみらからは「にゃんにゃん」、篠田麻里子からは「ニャロ」、大島優子からは「姫」、大島麻衣・梅田彩佳から「こじぱ」など、様々な呼ばれ方をしている。また、小学生時代は「はなちゃん」、当時流行していたたまごっちに因んで「はるっち」と呼ばれていた。
弟がいる。
幼少期に『美少女戦士セーラームーン』のごっこ遊びに夢中で、本人としては「ちびうさ」役になりたかったが、当時から身長が「クラスで3番目ぐらいに高かった」ために「ちびうさ」にはなれず、常に金髪のセーラーヴィーナス役をやっていたという。なお、現在でもカラオケで第2シリーズ『美少女戦士セーラームーンR』(1993年)のエンディングテーマ曲「乙女のポリシー」を歌うとのこと。
小学生時代は、「持ち物は全部マイメロディ」グッズで、大人になってもグッズ収集は続けている。
影響を受けたアーティストはSPEED、チェキッ娘、EARTH[22]。「夕方に放送していた『DAIBAッテキ!!』を観るために、毎日ダッシュで小学校から帰宅」していた。またSPEEDに憧れて小学校3年生から東京都内のダンススクールに通い始め「帰宅が遅くなっても弱音を吐かず頑張っていた」という。小学校4年生の時には『沖縄アクターズスクール全国オーディション』に参加、5万人近い応募者から最後の10人程度まで残り、特別賞を獲得する。その際の審査員の一人は、後にAKB48加入後に関わりを持つ牧野アンナだった。
来歴記載の通り、小学校6年生からスターダストプロモーションに所属して芸能活動を行っていたが、「仲良しのコが途中でやめちゃったタイミングで、私もフェードアウトしました」とのこと。
モーニング娘。の曲が全般的に好きで、中学時代には毎日のように友達と廊下で踊って歌ったという。とくに「Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜」を好み、カラオケでよく歌う。また高校時代、辻希美の生写真を大量に収集していたとのこと。なおカラオケについては「毎日行っても飽きない」ほど好きとのこと。
中学・高校時代はいじめに遭ったが、「『なんか言ってるなぁ』としか思わなかった」という。
駒谷仁美(元SDN48)や横山ルリカ(アイドリング!!!)とは親友の間柄。マリエと枡田絵理奈(TBSアナウンサー)は10年来の付き合いがある。
幼少期から「おしゃれやお化粧に興味を持」ち、遊びといえば「おままごとや着せ替え人形」など「ほとんど家の中」で、「元気よく外を駆けまわった記憶がまったくない」ため、運動は「そもそもどうやったら全力を出せるのかがよくわからない」「まったく自分に向いてない」と語るが、病気や大きな怪我はしたことがなく、「年に1回熱が出るぐらい」「熱中症にも過呼吸にもなったことがない」。
サッカー観戦を好み、特に自身の地元をホームタウンとする浦和レッドダイヤモンズについては「小さい時に「赤いほうを応援しなさい」ってお父さんから教わった」影響で「物心ついた時から応援して」おり、同クラブに関する投稿をTwitterで度々行っている。
日本中央競馬会のCMに出演した関係で勝馬投票券の購入に関わったことがある。篠田によれば「競馬新聞を読んでは、馬の名前とゼッケンの色だけで当てる」とのこと。自身が出演する競馬バラエティ番組『うまズキッ!』(フジテレビ)の企画で、2億5000万円で落札されたディープインパクトの弟の馬名を「モンドシャルナ」と名付けた。凱旋門賞制覇を願い、フランス語で「世界」という意味の「モンド」、「猫」という意味の「シャ」と「はるな」をもじって「シャルナ」とし、合わせて「世界の陽菜」という意味をこめた。
一部ファンの間で、そのコメントの的確さなどを指して天才と称されることもある。
弟の影響で、小学生時代には海外プロレスを観戦、クリス・ジェリコを応援していた。
ヘアスタイルについては「子どもの頃からロング一筋」。「人生で一番短かったのは生まれたての頃」というほどで、「ショートにしようと思ったことは一度もないし、これからも切るつもりはありません」とのこと。
『MAQUIA』の特集で「ぽちゃ胸」というニックネームがつけられたが、AKB48メンバーからも「『形と感触がいいね』ってほめられる」とのこと。グラビアやPEACH JOHNのCMなどで下着姿になることも多く、『マジすか学園2』では風俗嬢の役もこなしたが、「そういうのに抵抗がない」。「ポジティブで明るいお色気は、ファンの方にも受け入れてもらえるから大丈夫そうだなって。みんなによろこんでもらえるので、調子に乗ってもっとやろうって思っちゃう」といい、『メグたんって魔法つかえるの?』でパンチラを披露した際も、福田雄一監督が1回だけ撮影して使い回すことを考えていたところに、小嶋の方から「パンツは毎回換えましょう」と提案したとのこと。
父親の影響で、『行け!稲中卓球部』が好きになり、1997年にTBSテレビ『ワンダフル』内で放送されていたアニメ版を「早く寝ないと怒られるから、音を消して見ていた」。

AKB48関連
キャッチフレーズはデビュー以来「埼玉県から来ました。こじはること小嶋陽菜です」を使用。郷土愛が強く、自称「チーム埼玉」のメンバー。
オーディションに応募した理由について、応募方法が携帯電話で自分の写真を撮影後メールに添付・送信するだけだったため、「応募の看板を見た時に、たまたま写メが可愛く撮れたから送っちゃった」と語っている。「もし、きちんと全身写真を撮らなきゃいけないとかだったら、たぶん受けてなかった」とのこと。応募前には読者モデルになりたいと思っており、「けっこうスカウトもされていた」。声を掛けたスカウトの中にAKB48の事務所関係者がいたが、「聞いたことない事務所だなぁと思い」「その後も何度か連絡がきたけどスルーして」いたにもかかわらず、『秋葉原48プロジェクト』のポスターに、モーニング娘。の振り付け師として知られていた夏まゆみの名前を見つけたこともあり、「おなじ事務所だと思っていなくて、自分から履歴書を送っちゃった」。
オーディションの歌唱審査では「渡良瀬橋」を歌ったが、この時の選曲が、母が陽菜から「唯一、相談を受けた」事例で、カラオケに行って一緒に選曲したとのこと。なお、「みんなと違う曲にしよう」という意図での選曲だったが、その狙いは外れ「前の前のコも『渡良瀬橋』を歌ってた」。続く自己アピールでは、夏から、履歴書の特技欄に記載していた加護亜依のモノマネを「できますか?」と振られ披露、夏から「似てます」と言われたとのこと。
オーディション合格後、レッスン初日にアルバイトを優先して休もうとしたほか、劇場デビュー後も、当時通っていた高校の追試の勉強のために公演を休んだことがある。
劇場デビューとなるチームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」公演では、当初ユニット曲で「クラスメイト」を担当する予定だったが、レッスン場を訪れた秋元康の判断で、小嶋と大島麻衣が急遽「スカート、ひらり」の担当に変更された。
テレビ番組で「スカート、ひらり」を披露した当時、AKB48が一部から「パンツ見せ集団」と揶揄されたことに涙したメンバーもいる中、「そういう狙いがあって、ミニスカートの衣装を着ている」と考えていたため「ぜんぜん悔しくなかった」という。後にAKB48が『アキバ枠』でNHK紅白歌合戦に出場したことについても、一部メンバーが「悔しかった」ということも「よくわからない」と言い、「当時のAKBはそのぐらいの知名度だったので、紅白に出演出来るだけでもすごいことだなぁと思っていました」とのこと。
ノースリーブスでは「マイペース担当」となっている。
2012年11月にチームAからチームBへ異動した時点でチームB最年長メンバーとなり、2013年7月23日以降はAKB48の最年長メンバーとなっている。
AKB48正規メンバーと姉妹グループの一部メンバー間で行われた「生まれ変わったらなりたいメンバー」のアンケートで、回答者76名のうち26名から支持を受け、2位に14票差をつけて最も票を集めたメンバーとなった。
戸賀崎智信AKB48グループ総支配人によれば「笑いのセンスはピカイチ」で、「普段はフラフラして全然守りに参加してこないんだけど、おいしいところでポンッと点を取る」「たとえるなら、いつもオフサイドラインぎりぎりにいるストライカー」。戸賀崎によると、秋元康も「あのコは天才だね」と評していたとのこと。
人見知りであり、本人曰く「自分が主役になるのは本当に苦手」で、「主役じゃなくて脇で花を添えるぐらいの存在が理想」だが、AKB48グループのコンサートでは、秋元康が「小嶋がやるとギャップがあっておもしろい」と言ったことから、終了後に小嶋が一本締めをすることが恒例化しており、本人も「わけもわからずにやっている」。

(@kojiharunyan) - Twitter
https://twitter.com/kojiharunyan



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